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追憶

追憶

「初恋の記憶 1」

稲が黄金色に変りはじめ、実りの季節を迎えようとするころ、岡山市近郊の田園の町、大久町でも、秋の農作業にどこも忙しくなる。
大久町は大半が稲作農家の町であった。しかし、昭和四十年代以降、国鉄の大久駅や国道二号線の近隣を中心に、新興住宅が立ち並び、岡山市のベッドダウンとしての側面も出てきていた。
島和男が中学校に入学したのは、そうした、高度経済成長が一段落し、家庭の生活も安定して、電化製品もひととおり、各家庭に行き渡ってきていた昭和50年代のことである。
この町で唯一の中学校、町立大久中学でも、毎日組み体操やフォークダンスの練習、応援団の準備などで体育の授業も放課後も忙しい。
稲の手入れや畑仕事に出ている町の大人たちはみな、中学校や小学校から流れる体育祭練習の校内放送や、行進の音楽を聴きながら、学校の中での練習風景を思い浮かべて、運動会を心待ちにしている。子どもが学校に通っている親はもちろんのこと、小学生とは無関係ない者も地区別に出場する種目もあるので、みな見にくるのである。中学校の体育祭はそこまでではないが、それでも大勢の者が見に来る。
島和男は中学になって初めての体育祭、C組の級長として応援団長を務めることとなった。
応援合戦の練習の他にも、体育委員の水沼洋平たちが中心になって、だれがどの種目に出るかなど、学級会や放課後、みんなで集まって優勝を目指すために決めていく。
団長の他に、男子3人と女子5人ほどがポンポンとハチマキで、三三七拍子などをやるというオーソドックスなものになっていた。この日は人選とだいたいのやり方を決めてから初めて全員で練習してみようということになった。帰りのホームルームで、放課後練習で残っておくように連絡した後、
「よし、練習はじめるよ、隊形に並んで」
と島は皆に声をかけた。最初に島が
「1年C組、優勝を祈願して、 フレー、フレー、イチシ~」
と叫び、その後、島の指揮と水沼の笛に合わせて、全員が「フレフレイチシー」などと合唱していくのである。
チアリーダー以外のものは団長に合わせて全員で掛け声を出したり、四股踏みをしたりするだけである。
だいたい、先輩や先生が例年はこうだった、ということをアドバイスするのでどのクラスも似たようなものになるのだ。
しかし、この日は最初からつまずいた。島の最初の「フレー、フレー、イチシ~」のイチシ~の叫び方がリズムに合っていないのだ。
最初に言ったとたんにどっと笑いがきた。島も思わず笑ってしまった。
「ごめん、もう一回」
と最初から声を張り上げる。しかしやっぱり同じことで、調子がおかしい。また笑いが来た。
「カズ、イチシー、じゃなくて、イチシイ といったほうがあわん?」 
と水沼。島は初めて気づいたようすで、
「ああ、そうか、イチシイな」 
その後は、出だしはうまくいった。 
最初だから、順番と、言う言葉を教室の黒板に書いて、そのとおりにやったのだから、そんなに苦労はしないはずだった。しかし、その後も、島の指揮と水沼の笛と合わなかったりで、さんざん手間取って最後まで行き着いた。チアリーダー役を引き受けた女子たちも、島の仕草にくすくす笑ったりしている。
「どう?」
とひととおり終わってから島が皆に尋ねると、
「三三七拍子の最後のほうはもっと思いっきり早く回したほうがいい、カズのは早くなってからまた遅くなったり、もうひとつじゃな」
とか、
「四股が、団長の足が上ってなくておかしい」
とか、という意見が続出した。
島は苦笑しながら、
「わかった、ごめん。初めてで全然練習してなかったから。今度までに何とかします。」 
順序はだいたいこれでいい、という意見が多数であった。
「今日は、ぼくらで決めたやりかたを、だいたいの順序をみんなに掴んどいてもらったんで、これで行こうということでOK? ですね。 
後は僕や、チアリーダーで合わせて練習してから、もう一回みんなで合わせたいと思います、そのとき、またよろしく。
何か他に意見ありますか?」 
というと、一学期に級長をしていた岩井が
「せっかく集まってるからもう一度だけ最初からやってみない」
という。
みなも、今度は島がどんなふうにやるだろう、という興味津々で、やろうやろう、と言い出した。
島は閉口して
「いや~もう部活あるし~」
と言って抵抗していたが、結局やるはめになり、声をはりあげた。
今度はしかし一回目よりはかなりスムーズにいった。しかしやっぱりどこか滑稽な仕草があるのか、そこここからクスクスと笑い声がする。しかし島はもちろん夢中なので、そういう後ろの声には気づきもしてない。
男子の全員が「ヨイショ、ヨイショ」の四股踏みと突き押しのパフォーマンスをする間、女子が後ろでウエーブをしてから、全員で「1年C組、ファイト オー」と叫んで終了したとき、
「おお、やっとるな。」
といつの間には廊下からみていた教務主任の白石という先生が声をかけてきた。五十歳くらいの初老の男の小柄な先生だが、ふだんから厳しく、近づかれると緊張が走る。
「C組は島が団長か、貫禄負けせんように、全員で声だせよ」 
白石先生は島のほうを向いて、にこりとして去って行った。
「やっぱり、二回目やってよかった。だいぶよくなったで」
と岩井がいうと、C組の番長格で大柄な氏家がづかづかと島に近寄ってきて肩をポンとたたき
「お疲れさん、本番になったら、ワシが声を出したるから心配せんとき、今からあんまり声出しとると、声かれるで」
と言う。
「それもそうじゃったなあ。ツヨッさんが団長したらええのに」
と島がいうと。
「ワシがするとみんながついて来んからな。」
という。いかにも氏家がどっかと島の後ろに控えていると貫禄がつきそうに思えた。
「きょうは、じゃこれで終わります。明日、準備するものを決めるんで、なにか意見ある人はそのときまでにチアリーダーの人でも僕にでも教えといてください。」
島はみなを解散させたが、さっそく島や水沼たちのまわりで、
「団長のハチマキだけ、色をかえて特別長くしたら」
とか
「チアガールはかわいい格好はしないの」
とか
「ポンポンはだれが作る」
と準備の話になっていた。
「かわいい格好?」
と女子のチアリーダーの一人宮本陽子が言った。
「ハッピを着るとか?」 
と宮本の親友の上浦祥子。
「どうせなら、ミニスカートのチアガールにしたら」
と水沼が冗談ぽく、しかし半分期待したように言う。
女子たちは一応にそういう男子の反応を予想していたように、水沼にたたく真似をしたり、非難したりした。
テニス部の岩井が賛成して、
「去年どのクラスも対して代わり映えしなかったと先生が言っていたので、目玉があったほうがいい。」
と言い出したので、女子の一部も“かわいい格好”に賛成した。
宮本は不満そうに
「カズオ君はどう思う?」
と島に反対意見を期待した。たぶん女の子たちはかわいい格好はしたい。でも一方で比べられるのはイヤ、なのだろうと、島は勝手に想像していたが、ただ島にはなんとなく気になる存在がいた。宮本の親友の上浦だった。
彼女は宮本の側で、ゆかいそうにみなの会話をきいていた。まんざらいやそうでもない。それで島は
「そりゃ、一般観客としては、――」
といいかけると、すかさず水沼が
「ミニのほうがいいにきまってる」
と言い終わらないうちに、宮本がドカッと二人の頭をこずいていた、島がとっさによけ、
「いや 僕は何もいってない」
というと
「じゃ、どう」
と催促するので、
「ん、そりゃやっぱり短いほうが」
と言いかけたとたん、今度はほんとうに宮本に叩かれた。
「ちょっと、こういうのを団長や体育委員にしといていいの。ウラ、あんたなんとかしてよ」
上浦は3人の様子を面白そうにながめていたが、
「私は、ハッピがかわいいと思うけど、でもどうやって作るかもあるしーー」
と懸命な意見をいった。中学校の応援団には特別な予算はないのである。
結局テニス部の女子のユニホームを貸してもらって着るという提案を、明日してみたら、ということになった。 
「ウラはもともと短いのが似合うからね」
と宮本はまだ言っていた。
言われてみればそのとおり、上浦は普段、塾などに来る時も活発な感じの軽装がよく似合っていると、島はふと想像していた。
知らず知らず上浦のほうを見ていると、彼女も島のほうを見ながら
「団長は下駄はいたらどうかな。それと、ガクランの大きいやつ。私、お兄さんに頼んで借りてみようか」
彼女がよくそういうアイデアを思いついたものだ、と島は感心した。
「少しは貫禄がつくかな」 
小柄でクラスでも背の順で前から2番目という島だが、そういうことはたいして気にはしてなかった。それでも、上浦が、団長としての立場でどう見ばえよくするか、ということを自分の身になって考えてくれているのだ。と思えて嬉しさを感じずにはいられなかった。
「う~ん、それは無理かも、5頭身いや、4頭身じゃしな、カズは」
と、そばの男子が横やりを入れる。
「この頭は元からじゃ、脳みそがつまっとるからな。下駄はいたら6頭身じゃ。」
頭が大きく、背が小さいということを強調しているのだが、それも島はほとんど意に解さず、頭が大きいことの褒め言葉くらいにしか思っていないところが、また愉快である。 上浦も宮本もケラケラ笑っている。 
「でも、ウラさん、よくそういうこと気が付くね」 
と島がいうと、彼女は
「ここ、ここ、私も脳みそ、つまっとるからね。発想がちがうよ。 あ、私は4頭身じゃないけど」
と頭を指しながら笑う。 その悪乗りする笑顔がいかにも愉快そうだ。
「ちがうんよ、ウラはお兄さんが高校で応援団しとるから、知ってるだけよ」 
と宮本が暴露すると、
「もう、ミヤ! バラしたな」
と、また笑っていた。
その日の話し合いはそこまでで、もう4時過ぎていた。みなそれぞれの部活に向かった。

次の日の放課後、上浦はさっそく応援団長の島に着せるガクランと下駄を持ってきていた。チアリーダーが集まる前から島のところに来て、
「これ、着てみて」 
といって、後ろから足のひざ近くまでもある学生服を広げて、手伝って着せようとしていた。
「はい、下駄」
と今度はしゃがみこんで、履かせてから、島がボタンをはめるのに手間取っていると、前に回って
「それ、ずれてる」
といいながら、手伝おうとする。島は、その積極さにちょっととまどいながら、大丈夫というように上浦に合図して、自分でやり直した。その間に上浦はなおも、島のガクランを肩の歪みを直したり、着こなしが気になっているようすだ。
後から寄ってきた宮本や水沼、氏家らが、その光景を見て
「や~! カズ、上浦とできていたとは」
と冷やかす。上浦はそんなのは耳に入らない様子で、ただ島のガクランに下駄の様子に集中して、眺めている
「いや、ちがうって」 
と島は弁明するしかない。上浦は、相変わらずそういう話は耳に止めず、
「どう?」 
と、皆の顔を見てから、
「ちょっと、和男君、こっち」 
と皆のほうを向くように即した。それで、皆の距離と同じところまで下がって見て、二コリとして、
「ああ、いいんじゃない、ねえミヤ、どう?」 
という。皆もなるほどと思うしかない。
「さすが、上浦、完璧、完璧」
と氏家が冷やかした。 宮本が、島に近づいた氏家を眺めながら
「う~ん、やっぱり氏家君のほうが似合うかもね」
とさらりと笑いながら言う。島はガク!とした仕草をしたが、それはどう考えても本当だから、何の反論もない。
「でも、まんざらでもないよ」
と水沼と上浦がフォローする。
「これでタスキとハチマキつければ完璧」
という。
島はそれよりも、暑さでまいっていた。まだ9月上旬、昼間は夏と変わらないほど暑い日が続いている。
もう用が終わったと、さっさとガクランを脱ごうとすると、
「お疲れ」と、上浦は、ガクランを受け取ろうと近づく。島はふいに、いたずらっぽく、上浦の後ろに回って
そのガクランを彼女の肩に回して、すばやく被せた。
「上浦団長! 」
上浦が面くらって、脱ごうとしたが、島が後ろから腕を押さえている。
上浦は島にちょっとした抵抗をしたが、その後は抵抗をあきらめ、
「もう、カズ、知らないからね。」
と呼び捨てでいいながら、島に押されるままに教室に壇上まで行き、こちら向きになると
自分から、団長のフレーフレーの手真似をしてみせた。ガクランの下はもちろん夏服で
胸元のリボンと、ちょうどひざまでのスカートがガクランと同じくらいの丈なのが不釣り合いではある。
「いいねえ 上浦団長でいくか。カズは代りにチアガールじゃな 」
みなも眺めながら、笑っている。島も横から見ながら、彼女の悪乗りの仕方があらためてかわいいと思った。
「なんて、カズオ君、何やらせるつもり」
と、上浦は突然、近寄って島を叩く。
「いて、僕はそんなことまでーー」
彼女は「暑い暑い」と言いながら、ガクランを脱ぐと、
「はい、これ、体育祭終わるまで、持っといてあげるからね、下駄もね」
ていねいに元の袋に折りたたんで、荷物置き場に持って行った。
結局、その日の打ち合わせで、他のチアリーダーは男子は学生服、女子はテニス部にユニホームを借りることになった。

C組の旗と、タスキ、ハチマキ係を決めて解散した。もちろん係りのものがリーダーになってクラス全員でそれを手伝うのである。それぞれに分かれて作業を分担した。
その間に水沼や島は学校全体の体育祭運営委員会のほうに出たりして忙しい。
 それが終わると、その日は部活にも出られずに、水沼といっしょに自転車で六時前に下校した。
「カズ、おまえ、はっきり言うとあの格好、似合わんな、だけど何故かいいわ、雰囲気的には」
さっそく、水沼は二人っきりになると言い出した。
「ははは、そうかな。 仕方ない。やるしかないもん」
島は自分でもわかっているようだ。
「だけど、普通のかっこしてやるよりはいいだろう、少なくとも」
「まあ、そういうことにしておくか。  ――それにしても上浦はおまえを好きなんじゃないか?」
水沼は島の様子を探るようにいった。島も上浦のことを気にしているように思ったからだ。
「なんで?」
島は気の無い返事をして、
「あの子は、目の前の課題に熱心になるタチだから。それが僕の“団長の格好”だったんだろ」
と言い訳した。それが本当かもしれない、しかし自分のことを気にしてくれているからかもしれない、と思いたかった。
「ふ~ん。よくわかるな。でも、それだけかな。  
カズ自身はどうなんだよ、上浦のこと。 塾でもよくとなり同士だし」
水沼と島は、上浦、宮本と美杉の中央部にある塾でもいっしょなのだ。よく上浦と島は隣の席になった。
「どうって? 別に。 かわいいほうだとは思うけど」
自分で言って驚いていた。上浦をかわいいと思っている、などと打ち明けたのは初めてだった。
しかし、水沼はそれほどには気に留めず、
「ふ~ん、僕は宮本のほうがいいと思うけどな。」
「え? 洋平は宮本だったのか」
「なに? そういう意味じゃないって。どっちにしてもおまえ、女の子のファン多いからなあ」
それはそのとおりらしく、小学校の卒業の時も一人が全員に原稿用紙一枚程度の手紙を書く、寄せ書きをしたが、島には女子からかなり好意的な内容のものが多かった。男子からもそれ以上に好意的であったのだが。
中学生になっても、二学期になって最近島の入っている卓球部に、よく一年の女子が何人か見学に来ている。他のクラスの子も多い。
島は球拾いで余裕などないから、最初は女子が来ているのさえ知らなかったし、何を見ているのかも気づかなかった。
彼女たちは島の近くで島を見ていた。 
あるとき、球が見学している女子たちのところへ飛んでいって、島がそれを拾いにいくと、手渡しながら、
「島君、がんばって」 
と声をかけてくる。
あるときは別の女子に球を手渡され、
「島君、その足、ソックスはいているの」
と聞かれた。島には最初なんのことかわからなかったので、
「ソックス? これのこと?」
とシューズに履いている靴下を指すと、女子たちは首を振る。
後で、府中小の時から親しい女子たちから聞いたが、どうも、
「島は卓球するとき、短パンの下にストッキングをはいているのではないか」
という噂があるようだ。
それを聞いて、島は足を少しひっかきながら、特に何も着ていないことを証明してみせた。
まだキメの細かい足肌に、白い筋がついた。
「ふ~ん。でも和男君、女子にそう思われているみたいよ。」
というのである。
その最近話題になっている、「島のストッキング事件」のことも水沼は知っていた。
「最近、卓球見学のおまえのファン増えてるしなあ、
あんまり上浦と仲良くすると、他の子が焼もちやくぞ」
と、水沼は冷かした。
「だから、そんなに仲良くないって。」
島は閉口した。それに他の女子が本気で自分に興味があるとも思えなかった。
それより、水沼のほうが茶目っ気とリーダーシップ、運動もできるということで
人気があるように思えた。
「洋平こそ」 
といって、その日はわかれた。


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